足りないものを追い求める=煩悩 良いものは求めて良い!
仏教というと、人間の欲望を消し去って楽になりましょう、という教えだという考え方をしている人もいます。
でも、それはどうやら仏教の本当の教えではないようです。
■良い欲求=上求菩提・下化衆生
自らは仏を目指して向上し、同時に衆生を教化して導きたいという自利利他の欲求
■悪い欲求=煩悩
感情として肯定して良いレベルの常識的な欲求や怒りでなく、それを逸脱した異常な欲(貪欲)や異常な怒り(瞋恚)など
欲求を全部否定してしまうと、悟りたい、とか困っている人を救いたいという気持ちすらなくなってしまいますし、今生きていることをやめることが究極の欲望の否定になりますから、本末転倒ですよね。
その辺りをズバッと書いてある仏教書もあります。
ベストセラーのこちらの本も「感情を殺して楽になろう」という読まれ方をされるようですが、よくよく読んでみるとまったくそうではありませんでした。
そんなとき、いっそ自分の感情を全部消してしまうことができたら、と思うかも知れませんが、それは間違っています。
少なくとも、この草薙龍瞬さんは『反応しない練習』でそういうことはまったく、言っていません。どうも、この読解動画を他のYou Tubeを参考に見てみたのですが、そういう誤解をしている動画も中にはありました。
この『反応しない練習』では、感情を否定していませんし、嫌なことに目をつぶったり、なかったことにする、都合の悪いことはスルーする、という態度はまったくすすめていません。
このあたりは動画にしています。
そうではなくて、正しく嫌なことと向き合う(無理はせずにです、でも逃げないできちんと)、感情も消してしまうのではなく、あくまでも行き過ぎた感情をコントロールできるようになって、適切に、そして、大金持ちでなくても、過度な名誉欲が満たされなくても楽しく生きていける。
そして、自分を滅ぼしてしまうような大きな怒りや、自己否定なんかすることないのに過度な劣等感を持ってしまうことなどとは無縁の、小さなことでもその幸せを噛み締められるような、等身大のステキな人生が楽しめる。そんな状態を作るためにはどうしたら良いかを説いています。
つまり、感情を否定することなく、常に適度な、適切な豊かな感情で満たされている状態がいいと言っている。だって良い感情も悪い感情も生き過ぎると人生の毒ですから。でも、自分の良い感情は大切にしたい。
行き過ぎた感情にとらわれる人生は損(草薙龍瞬さんの言葉)なので、仏教で言えば中庸の精神で、人生を正しく楽しみましょう。ストレスフリーに適度に感情豊かな人生を楽しみましょう、というのがこの本の言いたいことです。
一覧にすると正しい欲求と間違った欲求はこんな感じになります
右側は否定すべき、乗り越えるべき、滅却すべき悪い感情、不必要な感情ですから、右側の紫色の分類の項目が煩悩となります。
一目瞭然の表にするとこんな感じですね。
同じ否定的感情でも、左側は持ってないといけない否定的感情です。これがないと、まるでロボット。生きているんだか死んでいるんだか分かりません。そして、この感情がないと世の中を、何より自分をよくしていこうという気持ちもなくなってしまって、かえって有害です。
左側の青い列を煩悩というのは、あきらかに変でしょう。
仏教では、こういう区別が、丁寧に読めば読み取れるのですが、こうやって、明確に図にできるようなレベルでは説かれていませんでした。
仏教でも、本来「良い欲求」と「悪い欲求」があるのに、それを一緒にして「煩悩」と言ってしまうと、お坊さんや仏教学者でさえももともとのお釈迦様が言ったことを誤解して「煩悩は捨てましょう」=「人間としての感情を捨てましょう」という間違った教えを広めてしまいます。
日本仏教の各宗派には「四弘誓願」という教えがあります。
1衆生無辺誓願度
一切の衆生を導こうと誓うこと
2煩悩無尽誓願断
一切の煩悩を断とうと誓うこと
3法門無量誓願学
多くの仏の教えを学びとろうと誓うこと
4仏道無上誓願成
覚りを成し遂げようと誓うこと
ここで1が下化衆生(利他への良い欲求)であり、2〜4が上求菩提(自利への欲求)に該当します。2で煩悩(悪い欲求)は断つべきと説かれ、3や4の菩提心(良い欲求)は積極的に育てるべきものとなっています。
よく見ると、全部欲求の肯定(悪いものを捨てたいというのも立派な欲求)になっています。
このあたりを区別すると仏教が現代的にもっと生きてくると思います。