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原始仏教を西田幾多郎の哲学から考えてみた 〜本当の仏教は死後の世界を語らない?〜

日本の仏教学者の中には、釈尊は本来、輪廻という思想に否定的であったとする意見もよく見受けられます。

 

この説に基づくならば、当時、釈尊が説法した時代のインドでは、「生天」や「輪廻」といった思想が強く人々の中に根付いて(民衆の一般常識となって)いたため、人々へ説法する以上は人々の一般常識からスタートするしかなかったということでしょう。

 

この説を支える点として、釈尊は出家者に対して死後の世界の有無を積極的に語らろうとしなかったこと(無記)、そして輪廻の主体としての我(アートマン)の無(無我)をそのまま言葉の通りに受け取ることができることが挙げられます。しかし、四諦・十二縁起・四向四果のような中心理論の中に、当然のように輪廻が出てくる以上、この説が簡単に受け入れられることはないでしょう。

 

今回は、仮に釈尊が輪廻思想を本来の立場からは認めていなかったと仮定した場合、釈尊の覚りとはどういうものだったと考えられるか?あくまで、筆者の勝手な一私見を書いてみたいと思います。

 

最初に、西田幾多郎(1870-1945)の知恵をお借りしたいと思います。

西田幾多郎は個人の死後について、個人の死がその人の死において完全な終わりというわけではなく、社会・文化・人類歴史の流れ等の中でその存在が継続すると考えました。その存在が社会や文化と密接に関連し、さらにはそれらに貢献することによって本質的な意味を持つという考え方に基づいているといえます。

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故人は歴史的生命(歴史的遺産)となって、それを受け取った次世代の人達を発展させると同時に、その次世代の人達が歴史的遺産を発展させる、そこに歴史の形成がある、即ち社会・文化・歴史とは、生人と故人が作り上げていくものであると言えると思います。生命とは個人の肉体や精神(五蘊)ではなく、このような共同体を真の自己とするものであるということになります。

 

こう考えるならば、五蘊無我も言葉の通りに受け取れますし、衆生の死後も如来の死後の世界も語る必要はないでしょう。

 

若き日のアーナンダ長老は、目前に迫る釈尊の死を実感して泣いていました。そんな長老に釈尊が説いた説法が下記でした。

アーナンダよ、あるいは後にあなた達はこのように思うかも知れない。『教えを説かれた師はましまさぬ、もはや師はおられないのだ。』と。しかし、そのように見なしてはならない。あなた達のために私が説いた教えと私の制した戒律とが、私の死後にあなた達の師となるのである。

『ブッダ最後の旅:大パリニッバーナ経』中村元 著より引用

アーナンダ長老のそれからの人生は、故人となった釈尊と一緒に作られていったのかも知れません。

 

もし仮に、釈尊が到達した覚りの境地がこのような共同体の最深層だったと仮定した場合、瞑想修行とはこのような共同体を直接体験する手段であることになるかと思います。そして、方便として生天説や輪廻説を受け入れて説いた理由も、人々に善行を勧めるそれらの説が自身の本来の覚りとも相容れるものだったためと考えることができるかと思われます。

 

『パーリ仏典 相応部』より:
善き友をもつこと、善き仲間のいること、善き人々に取り巻かれていることは、清浄行の全体である。善き友である修行僧については、このことを期待することができる。善き友、善き仲間、善き人々に取り巻かれている修行僧ならば、八つの正しい道を修めることになるであろう。そうして八つの正しい道を盛んならしめるであろう。

『ブッダ神々との対話ーサンユッタ・ニカーヤ1』中村元 著より引用

『パーリ仏典 相応部』より:
比丘たちよ、遊行しなさい。多くの人々の利益のため、多くの人々の安楽のため、世界への憐みのため、人・天の繁栄のため、利益のため、安楽のためにです。

『ブッダのことば パーリ仏典入門』片山一良 著より引用

善き仲間に取り巻かれる修行者は八正道を盛んにできる理由、より多くの人々の安楽のため弟子達と共に遊行生活に入って仏法を説いて回った釈尊の慈悲、何より故人となった大切な人を身近に感じることができ、筆者はこのような視点から原始仏教を考えていくのも個人的に好きです。

 

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