山下良道さんというかたは、もともとは曹洞宗の得度しているお坊さんです。でも、マインドフルネスにもとても詳しい方で、山下良道さんの瞑想教室では、実際に禅とマインドフルネスを融合させたワークをやっていますので、理論面も、実践面も説得力抜群ですね。
禅もマインドフルネスももともと仏教だったのだ!(゚0゚)
それでは早速山下良道さんの本を読んでいきましょう。
これはまず意外でしたね。
お坊さんでしかもマインドフルネスを聞いたことがある人ならば、それはこれこれが同じでここは違っている、とかすぐに即答かと思ったら、お坊さんの見解も分かれているということです。
でも、一致している意見もあるのです。それは、マインドフルネスとはもともと仏教だったということです。アメリカで開発された新しい身体的セラピー技術ではありませんでした。そして、うつ病などに効く代替医療でもありませんでした。
しょっぱなから、ルーツがわかりました。発祥の地はアメリカじゃなくて、スリランカ、タイ、ミャンマーでした。南伝仏教ということなので、日本で馴染みの深い大乗仏教じゃなくて、東南アジアで生まれた小乗仏教がマインドフルネスのルーツだということになりますね。
ということは、マインドフルネスは瞑想だということになりますね。
でも、じゃあ、お坊さんのやる瞑想とはどう違うのか、というのがますます気になってくるのは当たり前……。
マインドフルネスを日本語に直訳すれば「気づき」だった!
これも、驚きです。マインドフルネスって「気づき」だったんですね。
山下良道さんは、「気づき」だとインパクトがない、とおっしゃっていますが、でもその意味はこう訳した方がしっくりと、すぐにわかりますね。
よく、気づきや学びが大切だ、という言葉がありますけど、もともとはその「気づき」を得られる瞑想がマインドフルネスだということになります。
ということは、心が落ち着くとか、前向きになる、これも大事でしょうけど、
なにかに気づくという効果がないのならば、そのマインドフルネスは単なるそこらのリラックス法と変わらない
ということになります。
今日のまとめ
まず、マインドフルネスと座禅は違うのかというと、実は同じだったということでした。
そして大事なのは、いわゆる今、世間でもてはやされているマインドフルネスの中には、偽マインドフルネスもあるということですね。
この小乗仏教のサティ、気づきということの素晴らしい効果をあまり重視しない、リラックス法、仕事がはかどる法、精神的なストレスをなくすということ、これも大事でしょうけど、そこにとどまっている、それが目的になってしまっているマインドフルネスは、本当のマインドフルネスではない、ということです。
ですので、この記事のアイキャッチ画像の答えはこうです。アイキャッチの文字を変えてありますので、見比べてください。これが正しい理解となります。
確かに言われてみれば、例えば重度のストレス軽減だけだったら、精神科とかメンタルクリニックに行けば薬も処方してもらえますので、エビデンスのある医療の方がよさそうです。
その意味で、瞑想と(いま世間でもてはやされている)マインドフルネスは違う、と言えるでしょう。
本物マインドフルネスは瞑想やっている仏教と同じ仏教でした。
そこにどう改良が加えられたかも、このシリーズで詳しくみていきます。
本当のマインドフルネスとは、仏教の瞑想と同じ、気づきという効果を得られるものだというのが、今回山下良道さんの『禅Xマインドフルネスであなたの雑念はすっかり消える』から学んだことでした。
では、どうやったら正しいマインドフルネスを実践することができるのか、とても気になるところです。
この本の中には山下良道さんがいったいどうやって、本物のマインドフルネスを指導しているかも載っていますので、それもご紹介していきます。
次回以降も、この本を中心にそこを追求していきたいと思います。