原始仏教の教団は、比丘・比丘尼、優婆塞・優婆夷の四衆から成っていました。前の二つは出家僧の男女であり、後の二つは在家信者の男女です。
出家者は社会的義務を離れて遊行生活に入り、二百カ条を超える戒律に従って身を処しました。一方、在家者は社会の中にあって稼業にいそしみ、家族を扶養し、五戒を守りながら社会的な義務を果たしました。
在家と出家が同程度に修行の成果を修めることはほぼ不可であったでしょうが、在家の信者の中にも出家者に劣らぬ信念と知識を持ち、その優れた生活態度を釈尊に称賛された人々も数多くいたようです。ウグラ(郁伽)居士が有名であり、彼は大乗仏教においても在家の菩薩の理想像として受け継がれ、『維摩経』の主人公であるヴィマラキールティ(維摩詰)のモデルではないかとも。
〇他者への説法方法(順々の話)
●「施・戒・天」の『三論』
・生天
「布施」の話に続いて「戒め」の話を、続いての「生天(幸福)」の話です。布施を行い、五戒を守るならば、その福徳によって死後天の世界に生まれることができるというもので、仏教本来の立場とは異なる教えですが、在家信者の多くはこの段階に満足していたようです。幸福を求めての生天であり、輪廻からの解脱を求めての生天ではありません。
●「戒・定・慧」の『三学』
少欲論・知足論・不交際論・戒論の「増上戒学」、遠離論・努力精進論・定論の『増上心学』、慧論・解脱論・解脱智見論の「増上慧学」に配して説明されました。輪廻からの解脱を目指したもので、ここからが仏教本来の立場からの説法です。
・預流
預流果へ至った者は七回生まれ変わるまでには完全に覚れ、輪廻するのは人界か天界のみであり、他の悪趣には至らないとされます。
・一来
一来果へ至った者は死後、人界か天界に生まれ、再び人界か天界に戻って完全に覚れます。
・不還
不還果へ至った者は死後、五浄居という天界に生まれ、そこで完全に覚れます。
・阿羅漢
現世で完全に覚った者が阿羅漢果へ至った者で、二度と輪廻することがありません。
預流、一来、不還は現世において阿羅漢果に到達できなかった修行者達が更に修行を続けるために来世を期するものですが、これもある意味で「生天」とも言えます。しかし、この場合は転生先が天界と人界に限られており、従来の「生天」とは異なります。預流、一来、不還における特殊な「生天」思想は後の大乗仏教の浄土往生の思想に繋がったと思われます。
生天、預流・一来・不還、阿羅漢に応じて、釈尊の説法の仕方も内容も変わってくるでしょう。