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【原始仏教】初転法輪④ 五蘊無我Ⅰ ~欲界、色界、無色界の自我~

初転法輪では、「四諦・八正道・四諦三転十二行相」について説法が行われたとする説もありますが、もう一方で「五蘊無我(五蘊非我)」についての説法が行われたとする説もあります。

 

五蘊無我(五蘊非我)や三転十二行相の話に入る前に、我々が自分であると誤解してしまっている「自我」について触れておきたいと思います。パーリ仏典において、自我への一層深入りした考察は、長部経典の「ポッタパーダ経」に登場しています。そこではまず自我を三種類に区別しています。

 

ポッタパーダ:
「尊師よ、想は人の我なのでしょうか。それとも、想と我は異なるものなのでしょうか。」
釈尊:
「ポッタパーダよ、そなたは我をどのように了解しますか。」
ポッダパーダ:
「尊師よ、私は我を、粗い、色があり、四大要素からなり、(母と父から生まれ)、物質食を食べるものと了解します。」
釈尊:
「ポッタパーダよ、たとえ、この我が粗い、色があり、四大要素からなり、(母と父から生まれ)、物質食を食べるものであっても、その場合、この人の諸々の想は別に生じ、また諸々の想は別に消滅するのです。ポッタパーダよ、この理由によって想と我は異なるものになるということが知られねばなりません。」
ポッタパーダ:
「尊師よ、私は我を、(色があり)、意からなり、大小すべての四肢があり、欠けるところの無い感官を備えたものと了解します。」
釈尊:
「ポッタパーダよ、たとえ、この我が(色があり)意からなり、大小すべての四肢があり、欠けるところの無い感官(五根)を備えたものであっても、その場合、この人の諸々の想は別に生じ、また諸々の想は別に消滅するのです。ポッタパーダよ、この理由によって想と我は異なるものになるということが知られねばなりません。」
ポッダパーダ:
「尊師よ、私は我を、色の無い、想からなるものと了解します。」
釈尊:
「ポッダパータよ、たとえ、この我が色の無い、想からなるものであっても、その場合、この人の諸々の想は別に生じ、また諸々の想は別に消滅するのです。ポッタパーダよ、この理由によって想と我は異なるものになるということが知られねばなりません。」

『パーリ仏典 長部(ディーガニカーヤ)戒蘊篇II』 片山一良 訳より引用

 

三種類の自我のうち、第一は粗雑で物質的〔麁〕な肉体の我、第二は精神的〔意所成〕な身体の我、そして第三は精神自体〔想所成〕の我ですね。仏教に詳しい方は、各々の自我が欲界、色界、無色界という世界(三界)に対応していることに気付かれると思います。「貪欲」の煩悩もこの三種の自我にあわせて、欲貪、色貪、無色貪と三種類に分けられます。

 

高度な瞑想技術を体得した修行者達は、第一の自我の段階を超越して第二・第三の自我による世界を体験でき、その経験に基づいて、三種類のうちのいずれかを対象に「これこそが我=アートマン=真の自己である」という高次元での誤認をしてしまうのでしょう。


しかし、釈尊は第一の我想が生じる時、第二と第三の我想は消えるといったように、或る我想が生じる時に他の我想は消えるという特性から、想を我(真の自己)のように考えてはならないことを説明しています。

なぜなら、第一→第二→第三→第二のように各々の我想の生起と消滅があったにしても全体としての自我同一性は保たれているからであり、想を我(真の自己)と考えると矛盾するためです。

 

これは時間的に前後する想と想を繋ぐものが更に上の段階にあるということであり、それが「行蘊」ということでしょう。

「行蘊」(形成作用)は「思」であり、よく意志や動機付けと訳されますが、それはあくまで行蘊が生み出す結果の部分ではないかと思います。

そもそも思考とは認知された事項について、過去の経験や学習で得られた知識と照合し、比較・対照しながら考えを発展させる機能のことです。結果、具体的事項に関する考察(尋)や抽象的事項に関する考察(伺)も生じます。行蘊は新旧の記憶事項を照合・比較して発展させる働きと考えた方が前後の辻褄が合うように思えます。そして、その「行蘊」を更に多くの事項と照合・比較して繋ぐものが「識蘊」であり、これが知情意を司る機能と考えられます。

 

しかし、行も識も我ではなく、色受想行識の集合体も我ではないことが説かれます。続きはまた他の記事に書きます。

 

※補足説明

・四大元素(地・水・火・風)
肉体は、四大要素(地・水・火・風)と四大要素より作られた色形あるものと表現されます。そのため、肉体には以下のように、それぞれの要素があるとします。

地:堅性

髪・毛・爪・歯・皮、肉・筋・骨・骨髄・腎臓、心臓・肝臓・肋膜・脾臓・肺臓、腸・腸間膜・胃物・大便など肉体の堅い、粗い部分。

水:湿性

胆汁、痰、膿、血、汗、脂肪、涙、脂肪油、唾、鼻液、関節液、小便など肉体の液体の部分。

火:煖性

熱、消化、生理作用。

風:動性

呼吸、代謝、活動電位。

 

・意成身(六根)

意からなり、肉体と同じく大小すべての四肢があり、感官(五根)を備えた霊的な身体です。五根とは眼・耳・鼻・舌・身のことで、正根といわれます。一方、肉体上の感官は扶根と言われ、現代で言う原子や分子(四大元素)から成り立ち、例えば、眼で言うならば、角膜・水晶体・網膜などから成り立つ器官です。それに対して正根は微細な感覚器官であり、真の感覚器官としての能力は肉体の扶根ではなく、意成身の正根が有することになります。